土佐内 吉治(とさうち きちはる) 内野手 右投右打
1922年9月7日生まれ 山形県出身
【アマ】 鶴岡工業学校(山形県)
新潟鉄道局
【プロ】 国鉄スワローズ(50~51)
山形県鶴岡市出身。
上記Wikipediaに経歴と成績以外何も書かれていないので多少の紹介を。スワローズの初代背番号5を背負った土佐内選手。投手として鶴岡工業時代に活躍し、卒業後は新潟鉄道局(現在のJR新潟支社)勤めの後1950年、2リーグ制が始まったプロ野球・国鉄スワローズに入団。初年度は投手と内野手を兼任しその翌年は内野手専任で2年間スワローズでプレーしその名を球団史に残している。
土佐内選手の父は佐吉といい鶴岡塗りという漆器の職人であったが、吉治の入学した鶴岡工業学校の野球部を家業を二の次といったように全面支援し鶴岡市下の野球競技の発展に貢献した。後に鶴岡工業野球部は田沢芳夫(南海)投手を輩出。土佐内親子は鶴岡市の野球を語る上で欠かせない人物となっている。
1951年(昭和26年)度成績
28試合 .217(23-5) 3点 4盗塁 OPS.525
能力
実に資料がないのでこんな感じかなという能力。盗塁Cは盗塁成功率8割から。投手出身なのでもう少し肩を上げてもよかったかもしれない。
パワナンバー 12500 61923 66655