吉原 正喜(よしはら まさき/まさよし) 捕手 右投右打
1919年1月2日生まれ(~1944年) 熊本県出身
【アマ】 熊本県立工業学校(熊本県)
【プロ】 東京巨人軍(38~41)
巨人史の中でも屈指の名捕手。
熊本工業では川上哲治とバッテリーを組んだ吉原捕手。38年に巨人入りするとすぐにレギュラーを獲得し38年春だけで3本の本塁打を記録。捕手らしからぬ俊足を活かした闘志あふれる守備でリーグを代表する捕手へと成長し、40年には104試合に出場し30個もの盗塁を決めた。ファンの人気が高かったと言われているが、時代の流れには逆らえず42年には応召を受け戦地へ赴き、44年には中国-ビルマ国境で戦死。戦後・78年に野球殿堂入りを果たし東京ドーム内の鎮魂の碑にも吉原の名が刻まれている。
1940年(昭和15年)度成績
104試合 .230(330-76) 1本 27点 30盗塁 OPS.667
能力 エピソードで付けた能力が多い
打撃
38年春の打撃成績が良いのでそれらを踏まえた感じに。1940年は平均打率.200ちょっとの打低シーズンであることも考慮。
走力
「捕手にしては」俊足、という記述が目立ったのでAなどにはせず。
捕球
捕逸はそれなりに多いが、ファウルフライを落としたことがないという逸話より。
チャンスB
チャンスに強かったとされている。たぶんみんなC以上にはするはず。
ケガしにくさB
この年全104試合に出場。ケガに強いというエピソードが複数あり。
盗塁B 積極盗塁
30盗塁というだけで明らかに企図が多く、大半は成功していたのかなと。
選球眼
四球がとにかく多い。
パワナンバー 12400 41853 54318