島野 修(しまの おさむ) 投手 右投右打
1950年6月2日生まれ(~2010年) 神奈川県出身
【アマ】 武相高校(神奈川県)
【プロ】 読売ジャイアンツ(69~75)
阪急ブレーブス(76~78)
1968年の大豊作ドラフトの中で読売ジャイアンツが1位指名した島野投手。当時は田淵幸一(元阪神・西武)星野仙一(元中日)の指名が有力とされていたが、所謂「素材型」の島野投手の指名で星野投手が「シマとホシを間違えたのではないか」と嘆いたとされるエピソードは有名。しかし高校時代からという故障の影響もあってか巨人では71年に挙げた1勝に留まり、76年には阪急ブレーブスにトレード。こちらでは一軍登板の機会すらなく78年限りでプロ野球選手としては現役を退いた。
引退後は打撃投手などを務め、81年に阪急の要請で新しく導入するマスコット・「ブレービー」として活躍。一時はドラフト1位投手のその後、といったニュアンスの週刊誌記事が蔓延したものの持ち前の明るさをそれでも発揮し続け球場の人気者として愛された。球団が阪急⇒オリックスへ移った89年にはマスコットがブレービーから「ネッピー」へ変更されたが引き続きスーツアクターを務め、98年の現役引退まで皆勤でその務めを果たした。その後は職員として球団に残ったが、2010年に59歳の若さで死去。同年限りでネッピーもその役目を果たし、翌年からは「バファローブル(バファローベル)」が新たなマスコットとして活動を続けている。現在まで続く日本プロ野球界におけるマスコット文化は、島野さんの功績と言っても過言ではない。
1975年(昭和50年)度成績
13登板(7先発)
防御率6.25 3敗 9奪三振(36回1/3) WHIP1.73
能力 前年のイースタン最多勝投手であることを大いに考慮
対左打者F
この年の先発分だけでも右打者への3被本に対し左打者は5被本と分が悪い。
変化球および国際大会○
1974年秋・日米野球での好投より。特にフォークとカーブがアメリカ打線相手に有効だった様子。
また75年の選手名鑑においてはシュートを持ち球として確認。
パワナンバー 12500 21699 05339