小川 健太郎(おがわ けんたろう) 投手 右投右打
1934年1月12日生まれ 福岡県出身
【アマ】 明善高校(福岡県)
照国海運
リッカーミシン
電気化学
立正佼成会
【プロ】 東映フライヤーズ (54~55)
中日ドラゴンズ (64~70)
唯一無二の「背面投げ」
プロ・アマを転々とした後、中日ドラゴンズにおいてエースとして君臨した遅咲き投手。
中日への入団は、最初のプロ球歴となる東映フライヤーズの入団から10年後の1964年。同年は初勝利はお預けとなったものの翌年に17勝と飛躍。以降17勝、29勝、10勝、20勝、とエースにふさわしい数字を残し続けた。20勝を挙げた1969年には小川ただ一人がプロ野球で実践したという「背面投げ」を王貞治相手に披露、世界のホームラン王を弄んだ。もちろん翌年以降の活躍も期待されたが、その1970年にオートレース不正事件(俗に「黒い霧事件」のうちの一件)に関与していたことが発覚。同年限りでプロ野球界からは永久追放となった。当時36歳とはいえ、事件に関わっていなければどれだけの通算成績を残したのだろうか。
1969年(昭和44年)度成績
44登板(31先発) 防御率2.68 20勝12敗 120奪三振(252回) WHIP1.15
能力
球速 ノビC
球速に関してはそれほどでないものの、ノビがあったらしい
超スローボール
背面投げ要素(実際は90km/h程度出ていたとのこと)
投げたのは当該年度のみ。
対左打者F
被本塁打の半数以上が左打者から。当時の打者の左右比で言えばかなり多い割合
苦手としている王貞治から4被本塁打、また大洋の江尻亮からは5被本塁打とカモにされた。
フライボールピッチャー
一発と悩んだが、ノビのあるストレートを考慮して
成長タイプ
初勝利が31歳5ヶ月、以降で95勝を挙げたことを鑑みて晩成に
パワナンバー 12500 01232 87512
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読んでいて作りたくなりました。一応4球種扱いだと思うので強いかもしれません(>_<)