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嶋清一(海草中・1939年夏) パワナンバー【パワプロ2022】

嶋 清一(しま せいいち) 投手 左投左打

 1920年12月15日生まれ(~1945年) 和歌山県出身

 【アマ】 海草中学(和歌山県)

      明治大学

 

嶋清一 - Wikipedia

 

伝説の大投手

 昨年までおよそ100回開催された夏の甲子園の中で史上最高の投手と呼び声高い左腕。1939年夏の大会の準決勝・決勝で達成した2戦連続ノーヒットノーランは嶋ただひとりの記録。直球とドロップのツーピッチながらいずれも中学レベルを凌駕する球と評され、すぐにでもプロに通用すると言わしめた。

 また、打撃も投手離れしたものを持ち、同大会で放った11安打は長らく大会記録であった。

 

1939年(昭和14年)度・第25回全国中等学校優勝野球大会(「夏の甲子園」)成績

 【投球】防御率0.00 57奪三振(45回) 全試合完封・ノーヒットノーラン2回

 【打撃】.550(20-11) 5点

 

投手能力 

球速

 150km/h超え、155km/hは出ていたとの証言も。

 今回は間を取り151km/hとした。

球種 キレ○

 ドロップのみを確認。

 垂直に落ちた、ともされる「懸河のドロップ」

ノビA ナチュラルシュート

 剛球エピソードは枚挙にいとまがない。

 右打者の懐に投げたストレートがホップしながら「逆くの字」に変化したという逸話もある。ホップしながら、を鑑みてノビはAとした。

リリース○

 ストレート・ドロップの二球種のみで好成績を収めた。

球持ち○

 速すぎて球が見えないと言われるストレート。

 フォームも球離れが遅いものだったという。

尻上がり

 甲子園に限らず、終盤ほど手が付けられない・球威が最後まで衰えないと言われていた。ノーノー2回という点でも。

 

野手能力 翌1940年のプロ野球で.270 3本前後の成績を残すものと仮定。打撃にも優れていた。

サブポジ

 一塁・外野での守備経験がある。

走力

 身体能力に優れ100m走は11秒フラットだったとのこと。

流し打ち

 疑似広角打法。

 ・練習で上級生が苦戦する中、嶋一人が左右にライナー性の良い当たりを飛ばしていた。

 ・39年夏の甲子園では左右に外野守備を大きく越えるフライ(⇒いずれも三塁打)。 

 

パワナンバー 12200 11251 46394

 

 

 

「アマチュアスポーツは、平和な社会においてのみ成り立つものであるということを再認識する思いである。」

 

 

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参考文献

 山本暢俊(2007)『嶋清一:戦火に散った伝説の左腕』彩流社.

 富永俊治(2007)『嶋清一の真実:松坂大輔をしのぐ伝説左腕の軌跡』アルマット.