村上 雅則(むらかみ まさのり) 投手 左投左打
1944年5月6日生まれ 山梨県出身
【アマ】 法政第二高校(神奈川県)
【プロ】 南海ホークス(62~63)
サンフランシスコ・ジャイアンツ(64~65)
南海ホークス(66~74)
阪神タイガース(75)
日本ハムファイターズ(76~82)
アジア出身・初のメジャーリーガー
メジャー挑戦のパイオニアと言われる野茂英雄(ドジャース等)投手の30年前にメジャーの土を踏んだ「日本人初のメジャーリーガー」。
1962年に南海ホークスへ入団。64年に米サンフランシスコ・ジャイアンツ傘下1Aレイノスへ野球留学。ここで防御率1.78・11勝7敗の好成績を残すと2A・3Aを介さずに8月末にメジャー契約。9月にはアジア人として初のメジャー登板・勝利を記録した。65年は南海-ジャイアンツ間で村上を巡る契約トラブルがあったものの、結果この1年は引き続きジャイアンツでプレー。一時は守護神も務めるなど、45登板で4勝8セーブの記録を残した。
翌年からは日本球界に戻り南海・阪神・日本ハムでプレー。日米20年で620登板・108勝39セーブの活躍を挙げ82年限りで引退。以降はMLB中継の解説者やプロ野球コーチを務めている。近年は大谷翔平選手の活躍もあって「メジャーの第一人者」としてのメディア露出も多い。
1965年(昭和40年)度成績
45登板(1先発)
防御率3.75 4勝1敗8セーブ 85奪三振(74回1/3) WHIP1.06
能力
球速
130キロ台前半~140キロ台中盤と諸説ある
変化球
カーブ・チェンジアップ・スクリュー(シュート)を確認
本人曰くチェンジアップはメジャーで習得したものの、その2年間ではあまり投げなかったそう
「そう。日本とアメリカで違うからよかった。気候も暖かいとこだったしね。今思うと、あの頃、自分の投げたボールは、真っすぐとカーブとスクリューと。チェンジアップはあんまり使わなかった。それでスクリューボールってのはね、日本でいうシュート。左が投げるとスクリューボールっていうんだけど、これはねえ、高校3年のときから練習してたの」
対左打者E
メジャー通算
対右 .193(212-41) 6本
対左 .211(114-24) 4本
緊急登板○ 回またぎ○
両方とも多い
フライボールピッチャー
被本塁打が若干多い+フライ率が高い
対ランナー
発動条件時被打率 .315(57-18) 2本 ※シーズン被打率.212
・走者一塁 .319(47-15) 2本
・走者一・三塁 .300(10-3)
バント○
日本人で初めて安打を記録したのは、日本人初のメジャーリーガーである村上雅則投手だ。驚くべきは初安打を記録した相手がドジャースのサンディー・コーファックス投手であるということだ。4年連続で無安打無得点試合を達成したドジャースの伝説のコーファックスは、この年43試合登板し、26勝8敗、防御率2.04、382三振(!)の成績を残し、サイ・ヤング賞を獲得している。この日*1、村上はコーファックスからバント安打を放ち、日本人初安打を記録した。
(各成績等はここで確認)
パワナンバー 12400 40961 45363
*1:1965年6月29日