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白木義一郎(セネタース・1946年) パワナンバー【パワプロ2022】

白木 義一郎(しらき ぎいちろう) 投手・外野手 右投右打

 1919年9月20日生まれ(~2004年) 東京都出身

 【アマ】 慶應義塾商工学校(神奈川県)

      慶應義塾大学

 【プロ】 セネタース

      フライヤーズ(46~51)

      阪急ブレーブス(52)

 

白木義一郎 - Wikipedia

 

ロング・ロング・「アゴー」

日本プロ野球界出身者初の国会議員として知られる投手。

学・大学時代は甲子園に出場するなどエースとして活躍。大学在学中に太平洋戦争の応召を受け兵役しプロ入りはしばらく先送りとなる。

戦争が終わって初のシーズンとなる1946年にセネタースに入団。球団の復興当初で戦力が不足していたこともあり、ルーキーながら「即戦力」エースとしてシーズン全105試合中半分以上の試合に登板。30勝を挙げ最多勝のタイトルに輝いた。翌年も同様の起用法でほぼ同数の投球回を投げながら防御率1.74を記録し最優秀防御率のタイトルを獲得。その一方でリーグ最多の25敗を記録したことからは白木投手のセネタース・フライヤーズの大黒柱としての存在の大きさが覗える。46・47年の2年間での通算勝敗は56勝47敗。現代ではおよそ到達できない数字である。

以降はこの2年の酷使の影響で登板数が減少。49・50年には「飛ぶボール」が使用されたこともあり成績も下降する。またこの頃から投手の起用法や自身の宗教活動への傾倒を巡ってチーム・首脳陣との対立が深まり、52年に阪急ブレーブスにリリース。しかし同年は未勝利に終わりこの年限りで現役を引退した。

引退後は関西に残り、創価学会の初代大阪支部長・関西総支部長を歴任。56年には参議院選挙に出馬・初当選を果たし、以降5期に渡って議員を務めた。任期中は学会の仏法理念を汲んだ現行政党・公明党の結成に携わり、党の要職を長きにわたって歴任。86年に政界を引退するが、その後も学会活動に心血を注いだという。2004年没(84歳)。

 

1946年(昭和21年)度成績

 【投】59登板(48先発) 防御率2.58 30勝22敗 158奪三振(440回) WHIP1.19

 【野】80試合 .291(268-78) 2本 33点 OPS.740 7盗塁

獲得タイトル

 最多勝

 

能力 

打たれ強さB

 完投数が非常に多い。最終回に9失点しながら一人で投げ切った試合もある*1

 ピンチ時には自身の信仰する宗教のお経を唱えることもあったとか。打たれても自分で落ち着ける術を持っているという点で「打たれ強さ」はあるのかなと

打球反応○ 牽制○

 フィールディングの良さ

緩急○

 チェンジアップを交えた投球が効果的だったそう

変化球中心

 持ち味は変化球(参院議員時の本人談)

きょう、私は、久しぶりで往年の赤バット川上ホームラン王と対決するつもりで何を投げようかと非常に考えてまいりました。私の持ち味である変化球からというつもりでこのグラウンドへ参りましたが、先ほど上林捕手*2から強力に直球のサインが出まして、幾ら首を振ってもサインを変えないということで、やむを得ず直球で勝負をしたいと思います。

『第84回国会 参議院 法務委員会 第2号』(1978/2/16)

プロ野球・ドラフト制度の是非についての会議中の発言。参考人として川上哲治荒川尭三原脩らが出席(敬称略)

打撃

 規定打席に立っての高打率なので野手並みに

盗塁C

 盗塁成功率(.700)+本盗を1回決めている

守備力

 投球回が多いとはいえ同年の各チーム主力投手に対し刺殺・補殺数が非常に多い

 ⇒守備が上手で自信があるからこそ、翌年以降度々行ったとされる「トリックプレー*3」を成功させてきたのでは?

高速チャージ

 守備力+α

 バントのファウルフライに飛びつき「投邪飛」扱いにしたことも

 

パワナンバー 12900 70878 34985

(背ネームは入れるならば「SHIRAKI」だろうと思いますが「IRA」で以前引っかかったことがあるのであえて入れていません)

*1:6/16・タイガース戦

*2:プロ野球選手で白木投手とはフライヤーズ時代にバッテリーを組んだこともある上林繁次郎(1917-2002)。白木投手の勧誘で創価学会に入信⇒市議会議員を経て国会議員(公明党)という経歴を持つ

*3:自身に転がってきた球を一塁へのゴロ送球でアウトにしたり、捕手・二塁・三塁への送球を介してアウトにするなど