中村 稔(なかむら みのる) 投手 右投右打
1938年9月28日生まれ(~2021年) 三重県出身
【プロ】 読売ジャイアンツ(1957~69)
常勝を築き上げた”右腕”
61年巨人の日本一、そして65年から始まった「V9」の立役者と言える投手。
宇治山田高校を卒業後、読売ジャイアンツへ入団。同期入団には藤田元司がいる。
入団後4年で3勝を記録し、5年目を迎える1961年、キャンプで新球チェンジアップを取得。帰国後のシーズンではチームが打率最下位に沈む中、先発・中継ぎにフル回転しチーム最多の63登板。防御率2.13(リーグ5位)・17勝を記録。日本シリーズでも5試合に登板し、川上哲治監督の初陣に日本一をもたらした。
以降は故障もあり低迷のシーズンが続いたが、65年は調子を取り戻し20勝を記録。城之内邦雄・宮田征典とともに「20勝トリオ」となり同年の日本一に貢献した。69年限りで現役を引退。通算72勝を記録した。
現役引退後は巨人(70~77年、81~83年、89~92年)・ロッテ(97~98年)で投手コーチ職、ラジオ日本での解説者として務めた。81~83年と89~92年は藤田元司が監督として指揮を執る中で「右腕」として活躍。齋藤雅樹・桑田真澄・槙原寛己の先発三本柱の確立などに手腕を発揮した。
2021年6月死去。82歳没。
1961年(昭和36年)度成績
63登板(24先発)
防御率2.13 17勝10敗 142奪三振(241回) WHIP1.10
能力
球種(シンキングツーシーム)
Wiki「シンカー気味のシュート」
緩急○
この年のキャンプでチェンジアップを取得したのが飛躍のきっかけに
パワー
59年に1本塁打
パワナンバー 10400 61701 49204
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